オルテガの 「大衆の反逆」
アニメの「PSYCHO-PASS」16話『地獄の門』にて、 画像は4巻のジャケで、この話が収録されてるのは6巻です。 槇島 「正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため人は正義に力を与えることができなかった」 狡噛 「 悪いが、俺は誰かがパスカルを引用したら、用心すべきだとかなり前に学んでいる」 槇島 「ははは、そうくると思ってたよ、オルテガだな。 もしも君が パスカルを引用したら、やっぱりボクも同じ言葉を返しただろう」 というやりとりが有りました。 あんな場面で引用合戦するかよというツッコミはさておき。 パスカルの方はパンセにそんなようなフレーズあったなぁという感じだったのですが、オルテガの方はモヤモヤした感じでした。 引用元は「大衆の反逆」ではないかとの事で、 大衆の反逆 (ちくま学芸文庫) を昨日読み終えたのですが、パスカルのパの字すらどう思い返しても出て来ません…。 おっかしいな~、と思ってググってみたら原文を書き写しておられると思われる方のブログを発見。 http://btbb.hatenablog.com/entry/2013/07/17/234225 以下は上記のサイトより引用 人は時代が直面する問題に取り組む義務がある。これには疑問の余地がない。そして私は生涯を通してこの義務を果たして来た。私はつねに時代の弁護に回ってきた。しかし近ごろよく人びとが口にすることの一つに――「時流」――ということがある。これは明晰なる知的活動を犠牲にしても、すべての人が厳密な意味における sensu stricto 政治に参加しなければならないということである。もちろん、他に何もなすべきことを持たない連中がそう言っているのである。しかも彼らは、パスカルから「愚鈍化」 abêtissement という至上命令を引用して、その立場の強化を図っている。(end39) しかし私は、誰かがパスカルを引用したら用心すべきだということをかなり前に学んでいる。 それは、精神衛生の基本的な注意なのである。 全面的な政治運動、つまりすべての物事や、すべての人びとを政治の内に吸収してしまうことは、この本で述べている大衆の反逆という現象とまったく同じことである。もっか反逆している大衆は、宗教心や認識力をまっ
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